2015年8月17日月曜日

鹿島戦

えーご無沙汰です。そして昨日、鹿島まで行かれて応援してくださったベガサポの方々、本当にご苦労様でした。あのような試合を見せられ、精神的にも肉体的にも苦しい中、車のハンドルを握っていた方々の心痛は、不肖ベガルタン、痛いほど分かります。行けなかった我々に変わって応援していただき、本当にありがとうございました。

実はね、体調が悪く、1週間ほど入院しておりました。検査で「ポリープが見つかりました・・・ひょっとして、悪性かも・・」って言われた時の心情は、昨日の鹿島戦で逆転ゴールを決められた時のサポの心情と同じくらいショックでしたな。幸いな事に悪性ではなく、とりあえず取ってもらったのですが、そこからの食事制限が死ぬほど厳しいのなんの。ブログを書き込む気力すら起きませんでした。やっぱり、健康が一番ですな。

そんでもって、自宅で鹿島戦。これはねー、ベガルタによって「ドS」の資質を開花させられたベガルタンからすれば、堪らない一戦でした。クリアーしても、しても、しても、ボールは相手の足下。後半なんか、序盤はリードしているにもかかわらず、完全なるサンドバック状態。もうね、「いっそ、このまま、殺してくれぇーー!!」って感じ。観てて思ったよ「これでは45分、もつ訳が無い・・・」って。

鹿島の方が強いにしても、あそこまでボコボコにされるほどベガルタが弱いとは思えません。後半は誰が見ても「ガス欠状態」だったので、その原因を素人なりに考察すると・・・
システムや交代要員などの戦術が間違っていた
選手のコンディションが悪かった
戦略的なペース配分で失敗した
ぐらいしか考えられませんな。

夏場に弱いのは知っていますが、あそこまでボコられるのは納得できません。まるで、高校生のチームと練習試合をして、高校生が「ドン引き状態」となってしまったかのような状況でしたな。疲れているのは鹿島だって同じだから、それだけが「ボコられた」理由ではないはず。メンバー的には「ミンテ⇒金久保」のチェンジぐらいでしたが、この1人の交代が要因じゃない事は「前半はリードしていた」という現実から推測できます。じゃあ、なぜ、あんな感じになっちゃったのか?

昨日はBSで、トラッキングデータを参考にしながら観戦する事が可能でした。ハーフタイム、走行距離のデータでは、軒並みベガルタの選手が上位に。これを見てベガルタンは「真夏でも、走るようになったなぁ~~」と感心しておりました。しかしです、後半は、真逆とも言っていい程、走れなくなり、「前半のあれはなんだったの?」状態。そんでもって、馬鹿なりに考えた結論が「前半飛ばし過ぎて、ガス欠になったんじゃあ・・・」でありました。じゃないと、説明できません。

こうなってしまった要因の一部には、間違いなく「監督の戦略ミス」でしょうな。だからとって別に、「監督解任だ!!」的な考えを持っているのではなく、監督の思慮が、もう少し的確だったのであれば、あそこまでボコられる事は絶対に無いはずです。チームの変革期というのは、指導体制や経営体制、それら全てを含めての物なのでしょうから、ここは過度にネガティブとならず、我慢するしかありません。ウイルソンが居れば、渡部が居れば・・、と思う事は自由ですが、居ない時にしか「チーム力の底上げはできない・・」と考える事によって、ベガルタンは我慢する事が出来ます。

ただね、選手の成長のみならず、監督自体の成長も、チームの躍進にはマストでしょうな。若い監督に、モウリーニョなみの洞察力と戦略的判断力を期待するのは間違っていますが、個人的には二見の成長と同じくらい、監督の成長を望んでおります。こんな事を言うと「このメンバーで良くやってるじゃないか!!」と、お叱りを受けそうですが、このまま結果を出せなければ、例え残留出来ても自然に「監督問題が再燃」するのは必定です。継続が大事なキーワードだと思っているので、だからこそ、監督には「これが未来のベガルタだ!!」というサッカーを、残留争いしている時でも、ほんのチョットでいいから見せてもらいたいのです。

松本戦で監督は「新たなチャレンジが上手くいかなかったから、元に戻した・・・」とコメントしています。現有戦力では、中々、新たなチャレンジもしんどいようです。じゃあ、新たなチャレンジは不要かと言えば、ベガルタン的にはそうではありません。チャレンジをしないで残留できたとしても、来年待っているのは「同じような残留争いだけだ・・」と思っているので。こう書くと「まず最初に、残留を決めてからでも遅くないじゃないか?」と思われる人も居るでしょう。

確かに、「ドン引き」に徹する事で、ひょっとしたら残留の確率が上がるかもしれません。しかしです、「ドン引き」と「堅守」は全く異なるもので、監督の言う堅守とは「ラインの上げ下げを機能的に行い、時には上げてプレッシャーをかけ、時には下げて全体で守る」といった極めてフレキシブルなものです。今年は「堅守を再び構築し、新たな選手を融合させて、未来への土台を築く年にする」事がチーム全体の、いや、サポーターを含めての統一した目標のはず。そこを捨て去って、監督やチームの理念を放棄するのであれば、監督自体の存在価値、さらには、今年のチームの存在価値などあるのでしょうか?

残留する事が大切なのはベガルタンだって知っています。しかし、そこだけにフォーカスしてしまうと、来年もデジャブーを見る確率は高くなるでしょう。そこから脱する為に、今年の目標は「勝ち点50の、トップ10」だったはず。敢えて優勝などと暴言は吐かず、チームの土台を築くシーズンし、来年以降、チャンスがあれば・・・という考え方は極めてシンプル、かつ、論理的でした。だからこそ、多くの人は監督やチームの考えを支持したはずです。そこが崩れてしまうと、監督の存在価値に疑問が持たれるのはしょうがありません。


残留出来ようが、出来まいが、このような内容の試合ばかりになってしまうと、間違いなく監督は交代になるでしょう。別に監督擁護派ではありませんが、可能であれば、ある程度のスパンで監督を務めて欲しいと思っているので、2年くらいで代えられると困惑します。ここからの10試合は、チームの、そして監督自身の運命をも左右する大切な試合になりそうですな。

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