2014年11月28日金曜日

ベガルタン、徳島戦で八百長を考える

徳島戦を週末に控え、昼食のトンカツを待っている間中、ベガルタンは考えに考えました。何をかと言えば「徳島のチーム、そして選手のモチベーションは、どんだけなんだろう・・・」ということであります。降格はとうの昔に確定し、シーズンの終盤からは素人目に見ても“勝ちたい気持ちは当然”としても、戦術・戦略的には「如何に来シーズンをスムーズに迎えるか?」にシフトチェンジ。そりゃそうだよね、降格が決まっているんだから、悪い意味じゃなくても「だったら、残りのシーズンは来年の為の試金石としよう・・」と思うのは極めて自然だからね。

そんでもって何気に徳島HPをチェックするベガルタン。「とりあえず、仙台戦のアウエー観戦について連絡や、監督や選手のインタビューがあれば・・・」と思っていたんだけど、その中身は・・・・

なんと、全てがホーム最終戦のガンバ戦に関してだったのだ!!とりあえず、ヴォルティス日記も、ヴォルティスLINEも、ヴォルティスツイッターもチェックしたけどベガルタの「べ」の字すら発見できず、公的なリリースが皆無だったので滅多に見ないヴォルティスの掲示板をチェックしてみたら・・・

「流石に次くらいは勝とうよ。セレッソに3失点し、引き分けたチーム」
「ベガルタには確か2005J2上がった開幕戦で勝ったよね」
「ユアスタでは、これまで222分、勝つチャンスはある」
みたいな感じの「売り言葉に買い言葉」的なものが少々。徳島にとっては、仙台戦よりも、ホーム最終戦のガンバ戦の方に比重が高い感じですな。

だったら、これはこれでチャンスがあります。つまり、八百長大相撲のように、現金やハニートラップを仕掛けて、耳元では「今更、仙台に負けたからって、どおってことはないでしょ?最初は、おたくらに攻めさせて、まずはカウンターから仙台が先制。そこで又もや徳島に攻めさせるも、うちがセットプレーから追加点。後は試合終了まで、すぅ~~~~と流れでお願いします」的な事をささやけば、何も疑問も持たれることなく試合は終了。で、仙台は、ほぼ残留が確定し、徳島はホーム最終戦のガンバ戦に怪我人も累積での出場停止者もなく試合に臨める・・・、めでたし・めでたし。こんなの、だめでしょうか?

えー、山形の事も触れねばなりません。良かったですな、以上。


明日はホーム最終、鳥栖戦。ビートサガン!!!

2014年11月26日水曜日

ベガルタン、大人になりきれない自分を嘆く

えー、勝てなかったのは残念無念ですが、負けなかったので「メンタル薄弱症、全治3日」という軽傷ですんだベガルタンです。でも、普通はハモンのゴールで勝つよね?いや、勝ってくれなきゃ困るよね?でも勝てなかった・・・。確かに失点シーンを綿密に見れば「大海、もっと寄せろって!!」とか「関、お前のポジショニングは・・・」とか「鎌田、クリアーすんなら、もっとバーンと蹴ろって!!」みたいな感想を思わなくもないですが、まっ、セレッソも負けたら終わりだったらしいから、それこそ死に物狂いだったんでしょうな。

ハモンのゴールはナイスシュートでしたが、カカウのゴールも、それに匹敵するぐらいのナイスシュート。そう思う事で、無理やり納得するしかありません。カカウのシュート、普通は、枠外へ外れるか、ポストに当たって外れるんだけど、入っちゃうとは・・・・ホント、まいりました。

昨日は営業で終日山形。昼食は得意先のモンテサポの課長と同伴。そこでのリアル会話は、こんな感じ・・・。
自分「この間はさー、惜しかったんだよ・・」
課長「いやぁ~~、残念過ぎますね・・」
自分「せっかく、あんなに入ったのに・・」
課長「ホント、今期、最高で結果が出ないは痛すぎます」
自分「普通は勝つだろう・・・」
課長「そうですよね・・」
自分「ユアスタなんだから、最後のオフサイドは見逃せって!!」
課長「えっ!?ベガルタの話なんですか?てっきり山形のことかと・・」
自分「当たり前じゃないか、何で俺が山形について話すんだよ」
課長「すみせんが、今は自分の事で精一杯なんです。天皇杯の千葉戦、そして磐田戦・・・どっちも勝ちたいけど、両方狙って自爆するのは駄目だから、だとしたら磐田戦に比重を置いた方が・・・いやいや、やはり目の前の千葉戦に全力を・・・いやいや、それじゃあ、磐田サイドから見たら『思うつぼ』だから、やっぱ、天皇杯はサブメンバー中心で・・・ん~~~、でも、天皇杯の決勝を横浜スタジアムで応援したい欲求は捨てられないし・・・」
自分「勝手に、悩んでろって!!」

良くも悪くも、山形サポのテンションはマックスでした。もちろん、自動昇格すれば一番良かったんですけど、それでも、この時期に未来(昇格)と夢(天皇杯制覇)について、熱く語れるだけでも十二分に幸せものであります。そんな熱いトークでプレイオフを語る課長を見てたら、瞬間、ベガルタンも地獄の入れ替え戦がフラッシュバック。
ベガルタンは正直、磐田コールはしてません。出来ませんでした。逆に「何で磐田コールが出来るんだ?空し過ぎるじゃないか・・・。ここで、そんなコールをして号泣でもしたら、地獄の底まで落ちちゃうよ。人間的に小さいと言われようとも、俺にはできん」と思っていました。倉敷さん、こんな人間じゃあ、ダメですか?

そうこうしていたら、課長はタブレットで動画を見せ、自身の熱い心境を切々と説いて来ました。その動画とは・・・
確かに、これはカッコいい動画かもしれないが「こちとら、それどころじゃないんだよ!!そっちが盛り上がるのは勝手だが、こっちも自分たちの事で一杯一杯。山形の事なんて、どうでもいいから・・・」と思っていたことは内緒です。

同じようなつながりで、ベガルタンには、これも出来ません。
2011 12/3試合終了後、ビジターのロアッソ熊本サポーターから、「サガン鳥栖!」コールと共に、­『サガン鳥栖を愛する全ての人へ』 『堅忍不抜の努力に敬意を表します』 『追いつき追い越すまでJ1にいてね』と書かれた三枚の横断幕が掲げられる。
確かに、いい話なんでしょう。ガチで戦い、結果がどうであれ、試合が終わればノーサイド。直ぐに気持ちを切り替えて、事前に用意してきた弾幕を掲げ、敵チームにエールをする・・・、美談ではありますが、ベガルタンには出来ません。そこまで割り切れるほど、ベガルタンは大人じゃありませんから。

そう言えば、他チームでは来季の契約に関してのリリースが出始めましたな。当然、仙台にも退団する選手は居るでしょうから、そんな選手たちを気持ちよく送り出す為にも、ホーム最終戦は勝たねばなりませんな。

関係ないけど、マジで山形の肉ソバは美味しいです

2014年11月21日金曜日

ベガルタン、同好会を解散す!!

えー、昨日は仙台支店、ベガルタ仙台応援同好会の忘年会でした。宴もたけなわ、その時、ベガルタンは13名のメンバーに対して、重大な発表をしたのです。当時を振り返って、メンバーの裕子(元大学準ミス)さんは、こう語っている。
裕子「あれはまさに、青天の霹靂、その一言です」

ベガルタン「えー、宴もたけなわではございますが、ここで仙台支店、ベガルタ仙台応援同好会のリーダーとして、ある決意を表明したいと思います」
吉岡「なんですか?いきなり」
工藤「また、去年のように“ボーナスの査定はセレッソ戦の勝敗を見てから考える”、じゃないでしょうね?」

ここまで約1時間、ビール1杯、焼酎1杯、そしてハイボールをヘベレケになるくらい飲んでいたベガルタン。残留やら降格やらの話題で盛り上がっていたのだが、どのように応援すべきかについての見解は喧々諤々(けんけんがくがく)。“今まで通り、メンバーの増員を徹底し拡大路線で行くべし”とか“アウエー参戦の年間最低回数を決めるべき”とか“指定席から離れ、ゴール裏へ移動すべき”とか“女の子のメンバーを増やすべき”などなど。

さらには、今までリーダーとして、全ての権限を握っていたベガルタンに対しても批判が出て“今年のリーダーのアウエー参戦回数は少なすぎる”とか“新メンバーの勧誘に消極的だ”とか、“だいたいにして、試合中にビールを飲んで声を出さない人がリーダーでいいのか?”みたいな、リーダー不適格論まで出ては、如何に温厚なベガルタンでさえ我慢できない。「この野郎、酒の席で無礼講を良い事に、人格まで否定しやがって、そっちがそうなら、こっちにも考えがあるぞ!!」

まさにその時、その発表があったのです。
ベガルタン「えー、振り返ると、仙台支店にベガルタ仙台応援同好会を作り、会社に無理やり公認させ、一生懸命ベガルタを応援して来て、早12年。干支が一回りすると言う、長い歳月が経ちました。おかげさまで、社内にベガルタを応援する若い世代も育ち、今後、この会の応援スタイルを“どの道”に進むのか?について考えた時、一つの決断に至りました。今、この時を持って、仙台支店、ベガルタ仙台応援同好会を解散します。そして、今、この場でベガルタ仙台応援同好会のリーダーは誰がいいのか、その選挙を行なう事としました」
一同「えぇぇーーー!!!」

そんなこんなで、急にリーダーを決める選挙の討論会をやる羽目に。内心は「どうせ、こんな提案なんか「酔っ払いの戯言」としてスル―されるに決まってる」と思っていたのだが、なっ、なんと、3名も「我こそは」と意気に感じて(絶対に酒の勢いだと思うが)立候補者が出て、さー大変。急きょ、マジで討論会が開く事になり、各々が、自身の考える仙台支店、ベガルタ仙台応援同好会の今後に対するマニフェストを発表する事となった。

吉岡「皆さん、確かにベガルタンリーダーは、ここまで我々を引っ張ってくれました。その意味では感謝しておりますが、最近はどうでしょうか?昔なら、絶対に負けられない試合の時ぐらいは、ゴール裏へ行って、我々を鼓舞したものですが・・・もう、リーダーにはパッション(情熱)が無くなってしまったとは思いませんか?」

裕子「だいたい、この解散に、大義はあるのでしょうか?自分自身にとって“チョット痛いところ”を指摘されたぐらいで、仙台支店、ベガルタ仙台応援同好会を解散するだなんて・・・この選挙に大義などありません」

木皿「ここに来て、個人の人格攻撃は建設的ではありません。こんな時こそ、冷静に我々を導いてくれるリーダーは誰かを、冷静に考えましょうよ。今度のセレッソ戦、久々ですが、ベガルタ仙台応援同好会全員で、チームを応援しませんか?そのリーダーこそ、私が相応しいと確信しております。あーだ、こーだは、この際どうでもいいんです!!」

朝まで生テレビのような、激熱のトークバトルは、まだまだ続いたんですが、この続きはセレッソ戦に勝ったらアップしようと考えています。もしも、本当にもしも、負けてしまった時は、1週間ほど喪に服す為、ネット社会から逃避します。

明日はセレッソ戦、ビートセレッソ!!

2014年11月19日水曜日

ベガルタン、決戦を前に多数の懇願に閉口す!!

今年最大の決戦が週末に迫ってくるというのに、「絶対に負けらんねー!!」的な心の高揚感は不思議なほどありません。もうね、個人的には“残留おめでとう宣言”までしているくらいの楽観主義者だから、「油断はしてないけど、セレッソには勝つでしょ」と、マジでゆるぅ~~く思っているベガルタンです。

本当に、負ける事など1mmも思っていません。だいたいにして、もしも“この試合で負けたら降格、地獄への一本道だ・・・”みたいな試合だったら、入れ替え戦の時と同じように、極度の緊張で体調が悪くなり、朝晩に吐き気が止まりませんから。この時、カミさんなんて「えっ、つわり?こんな状況なのに、おめでた?」とふざけるもんだから、ベガルタンは速攻で「お前とは7年くらいセックスレスだろうが!!」と突っ込みました。今となっては、良い想い出ですな。

そんなベガルタンの会社専用のPCへのメール本数が、最近、ウナギ登りで上昇してきました。本人たちの許可を取って、その一部を抜粋しましょう。まずは、http://vegalten.blogspot.jp/2014/10/blog-post.htmlで知り合った、甲府サポで本社のマドンナ相沢さんのメール。

甲府サポで本社のマドンナ相沢さん
「ベガルタンリーダー、ご無沙汰しています。先日の打ち上げでは、貴重なお話、大変有り難うございました。私も、リーダーのように達観してチームを応援出来るよう、精進して行きたいと思います。ところで、週末のセレッソ戦なんですが、絶対に勝ってください。勝っていただけたら、年末に東京へ来た際は“飲めや唄えやの大騒ぎ!!”の席をセッティングさせていただきます。どうか、宜しくお願いします」
うんうん、この気持ち、分からなくもないよね。そこでベガルタンは速攻で返信。

ベガルタン
「分かりました、任せてください。でも、個人的には“飲めや唄えやの大騒ぎ!!”よりも“酒池肉林”の方が好きです」

次は大宮サポの桐谷課長
「リーダーご無沙汰してます。いよいよ、決戦の時が近づいて来ましたね。しかも、今度の一戦は、残留争いをしているチーム同士、試合開始時間に時間差は無く、それこそ全チームで“残留争い。よーーい・ドン!!”と言う感じです。つきましては、尊敬するリーダーに、お願いがあります。実は、我々の最終戦の相手がセレッソでして、もちろん、大決戦なのは言うまでも無いのですが、可能ならば、仙台がセレッソを叩いてくれて、「セレッソ、終戦!!」みたいになってくれて、モチベーションが“ガタ減り状態”で対戦したいと考えております。なので、どうか、どうか、セレッソを叩き潰してください」

ベガルタン「言われなくても叩くけど、甲府サポで本社のマドンナ相沢さんは、勝ったら「“酒池肉林”の宴をセッティングします」とまで、言ってくれているのに、お前は頼むだけか・・・・。本当ならば、そんな願いなど聞く耳は無いのだが、お前の為ではなく、相沢さんの為に勝ってやるよ」

次は、全く面識のない名古屋支店の倉田君。本当に誰だか分からなくて、後輩に「おい、名古屋支店の倉田って知ってるか?」と確認したら、「30才くらいで、清水サポですよ」ということらしく、多少親交のある、本社の清水サポの戸田君へ連絡。すると「そいつ、メチャクチャ熱い清水サポですよ」とのこと。

激熱清水サポ、倉田君
「初めてベガルタンリーダーへメールさせていただきます。私は名古屋支店の倉田と申します。面識もないリーダーへメールしていいものかどうか・・を悩み、戸田さんへ相談したところ「あの人は、仕事関連のメールに対してはブーブー言うけど、サッカー関連のメールならばウエルカムの人だよ」と教えられましたので、失礼を承知でルールさせていただきます。えー、お願いです、セレッソを叩き潰して、「J2への送り人」となってください。リーダーは常々「甲府って、(仙台から)遠征するには意外とシンドイとこだよな」と話しているとの事。そこで、我々清水が最終戦で甲府を下して降格させ、リーダーのアウエー参戦への憂鬱を取り払います。なので、絶対にセレッソに勝ってください」

このメールを仙台支店の後輩に見せたら
「リーダー、確かに、甲府だけでも大変なのに、ここに松本も加わるんですよ?どうやって行ったらいいか、分かんないじゃないですか?ここはもう、松本が加わるんなら、甲府には申し訳ないけど、降格してもらいましょう」とのこと。

なるほど、まだ残留が決まった訳じゃないんだけど、もう、来年のカレンダーを見ながら「どれが仙台にとってベストなのか?」を考える時期なんですな。となると、J2のプレイオフでは千葉か山形が勝つのがベストと言う事になります。しかし、それはあくまでも「仙台が残留」を前提にしてであります。そうなると、何だかんだ言われても、誰の為でもなく、自分たちの為に「セレッソを地獄へ叩き落とす覚悟」はマストアイテムです。


ぶっちゃけ、セレッソは何気に他のチームよりもシンパシーがあるんだけど、ここは覚悟を決めてボコボコし「こんな試合をしているようなら、降格もしょうがない・・」と思わせるような試合をやるしかありませんな。甲府サポで本社のマドンナ相沢さん、ベガルタンは君の為に闘います。

2014年11月16日日曜日

シーズン5

 佑香さんの新たな旅立ち

その電話は、ゴルフコンペの懇親会の時に掛かって来た。後輩に帰りの車を運転させる事を良い事に、ベガルタンはビール&ハイボールをガブ飲み状態。そうですなぁ~~ここがドイツならば、間違いなく隣りどうしで肩を組んで、ビール祭りの時に必ず歌うと言う「乾杯の歌 Ein Prosit」を唄っているはずです。

超酔っ払いという状態の時、電話を掛けてよこしたのは佑香さんでした。瞬間「あれっ?この間、清次先輩の7回忌は済んだから、あぁー、今度は恵美さんの7回忌かなんかの連絡だな」と悟ったベガルタンは、騒がしい懇親会場を出て、イケメン俳優のような渋い声で電話に出ました。

自分「もしもし、竹之内豊です」
佑香「えっ、佑香ですけど。ひょっとして、飲んでますか?」
自分「間違いました。河島英五です。お前が二十歳になったらぁ~~」
佑香「二十歳は過ぎましたけど・・また、掛け直した方が・・」
自分「ごめんごめん、悪気はないんだよ佑香ちゃん。ただ、チョットだけ、酔ってるだけなんだ」
佑香「そうですか、それはタイミングが悪くて、すみませんでした。なので、用件だけを手短に話します」
自分「なに、どうしたの?」
佑香「10/26の柏戦、私、ユアスタへ行きたいんですけど、ご一緒できますか?」
自分「いいとも!!」
佑香「それはありがとうございます。だけど、ベガルタンさん、これ、会社ならパワハラですよ?」
自分「ダメよ、ダメダメぇ~~」
佑香「失礼します。ブチッ、ツーツーツー」
自分「あれ、佑香ちゃん?佑香ちゃん?ン~~今日の佑香ちゃんは、ご機嫌斜めだな・・・・」
今、こうやって文章にすると、つくづく「俺って、最低の人間だよな」と思うよ。

後日、改めて佑香さんと連絡を取ったところ・・・
来年から千葉の病院で看護師として働くことになった。
現在同棲している彼氏さんと結婚する予定。
その彼氏さんはジェフサポ。
一緒に試合へ行くようになったらジェフが好きになった。
よって、ベガサポではなく、ジェフを応援してゆくつもり。
なので、最後に自分とベガの試合を観戦しながら、絶対スタジアムに来ているであろう両親にも、その旨を報告したい」
と言った事でした。それにしても、今どきの若者って、すぐに同棲して結婚までしちゃうんですな。

そんなこんなで佑香ちゃんと柏戦。先輩の聖地でもあるS北に陣取る。佑香ちゃんと、先輩夫婦の四方山話をしながら試合開始を待ちます。そして選手の入場、すると佑香ちゃんは、やおら立ち上がってジャンパーを脱いで戦闘モードへ。足しげくフクアリへ彼氏さんと通っているだけに、何気だけど様になっています。当然のように掲げるタオルは恵美さん、そして着用しているベガTは清次先輩の遺品。それを隣で観ていたら、不意に瞳という名のダムが決壊。先輩、恵美さん、観てますか?佑香ちゃんは、すっかりレディーになりましたよ。

試合は御存じのように、ベガルタがロスタイムでの敗戦。スタジアムは重い雰囲気。座りこんでベガTを脱ぐ佑香ちゃん。すると、佑香ちゃんは思い掛けない事をベガルタンに言ってきました。

佑香「ベガルタンさん、私、ベガルタを応援するのは今日が最後だと思って応援してました」
自分「じゃあ、明日からは・・・」
佑香「はい、心の底からジェフサポです」
自分「いやいや、そんな、かたくなになんなくてもいいんじゃない?J2では千葉を、そしてJ1では仙台を応援すればいいんだから」
佑香「それじゃあ駄目なんです。今、この時から、私の夢はジェフが昇格してベガルタにユアスタで勝つことです!!」
自分「えっ、その夢、何気に直ぐ、叶っちゃうような気がしないでも・・・」
佑香「つきましては、このベガTとベガタオルをベガルタンさんに貰って欲しいんです」
自分「それはいいよ、重過ぎるって」
佑香「いえ、ベガルタンさんじゃなきゃ駄目なんです。父と母、この二人の気持ちを背負えるのは、ベガルタンさんしかいません。お願いです、貰ってください」
自分「・・・その気持ちは嬉しいけど・・」
佑香「お願いします」
自分「分かった。分かったよ」
佑香「ありがとうございます。これで、何の心配もなく、千葉へ行けます」

佑香さんと別れ、車を運転するベガルタン。そして助手席には預かったベガTとタオル。この品々を見て「絆とは何なんだろうか?」と考えました。きっとそれは、与えられるものではなく、共有できる思い出が積み重ねられた事によって出来る“木の年輪”の様なものではないでしょうか?

良いシーズンの時には年輪は太く、悪いシーズンの時は狭くなる。しかし、全サポーターが一律に太くなったり狭くなったりするのではなく、それぞれがチームに対して取り組む姿勢により変動する。その総和こそ“絆”だと思ってます。互いに仲間の取り組みや姿勢を尊重し、毎試合応援する。そうして出来上がる信頼感が年輪として、個々の心に刻まれ、人間的にもサポーター的にも成長してゆく。“絆”とは、その成長の証しではないか?佑香さんから預かったベガTとタオルを見ながら、ベガルタンはこんな事を考えていました。


先輩、佑香ちゃんが敵としてユアスタへ来たら、ボコボコにしてやりましょうね・・・。

2014年11月15日土曜日

シーズン4

 不意に掛かってきた電話

清次先輩、恵美さんが天国へと旅立って およそ7年の月日が経ちました。あんなに熱い絆を感じた関係も今は昔、彼らのことなど思い出すことなく、ベガルタンも通常の生活を淡々と過ごしていました。そのように何気ない生活を一変させた電話が掛かって来たのは、タイトな仕事をこなしていた柏戦の5日前でした。

普通に車を運転していると電話の着信。しかし、着信ナンバーを見ても全く身に覚えの無い履歴だったので「誰だろう・・・」と思っていたら切れたので、「まっ、間違いじゃなければ、もう一回掛かってくるだろうな」と思い、何気にスル―。すると、間髪いれずに再度、同じナンバーから着信が・・・。さすがに2回もよこすなら間違いじゃないだろう・・・ということで電話に出たことから、今回のエピソードが始まりました。

自分「もしもし、ベガルタンですが」
相手「ご無沙汰しております。斎藤佑香です」
自分「えっ、斎藤佑香さん???えーと、えーと・・・・」

最初、この電話は飲み屋のお姉さんか、風俗の店員かと思ったのよ。だから、この電話を最初に受けた時の印象は「あちゃーー、酔っ払って、自分の名刺でも渡しちゃったかなぁ~~」みたいな気まずい感じでした。しかし・・・

相手「お忘れになっているかもしれませんが、私は斎藤清次の娘、佑香です」
自分「えぇーーー!!!佑香ちゃん?佑香ちゃんなの???」
佑香「はい、その節は大変お世話になりました」

自分「いやいや、それよりもごめんね、何か気づかなくて・・。若い女の子から電話が掛かってくるのは、殆ど、っていうか、全部飲み屋さん系からしか来ないから、どの店の子だったろう・・・って悩んじゃったよ。でっ、佑香さんからの電話ということは、清次さんか恵美さんの7回忌か何かの連絡ですか?」

佑香「そちらの連絡は、OB会の会長さんを通してするつもりです。ベガルタンさんへ連絡させていただいたのは、私をユアスタへ連れて行って欲しいんです」

自分「えっ、佑香ちゃん、ベガルタに興味あったの?いやいや、生前、清次先輩が「佑香をユアスタへ誘っても、中々ついて来てくれず困ってるんだ。ベガルタには興味無いんだな・・・」って言ってたからさ―。あっ、でもね、連れていくのは全然問題ないんだけど、オジサンと行くよりも同年代の友達と行った方がいいんじゃない?」

佑香「母から、もしもユアスタへ行く気になったら、最初はベガルタンさんに連れて行ってもらいなさい・・・って言われていたんです」

自分「そう・・恵美さんが・・・」
佑香「あっ、それともう一つ、一緒に行ったらランチをご馳走してもらいなさいって・・・」
自分「先輩にはかなわなかったけど、恵美さんにも勝てないよなぁ~~」

そして、柏戦当日。私と佑香さんは清次先輩の聖地であるS北エリアへ。何気ない世間話をしながら試合を待つ。何でも、佑香さんは4月から仙台を離れ東京の看護学校へ行くらしく、仙台を離れる前にユアスタへ行ってベガルタを応援したかったらしい。

佑香「父も母も、結局はJ1で活躍するベガルタを応援できませんでした。その意味で、私は幸せ者ですね」

自分「ん~~、でも、その両親の後ろ姿を見られたから、今、佑香さんがここに居る・・・と考えれば、お父さんも、お母さんも、決して不幸せとは思ってないと思うよ。ただ、お母さんは天国へ着いてるとは思うけど、お父さんは、ひょっとしたらまだ着いてないかもね・・・」

佑香「えっ、父の方が着いてないんですか・・・お母さんは生きている時も死んでからも、待ってばかりなんですね」

そんでもって選手の入場。この日の仙台は肌寒く、座って観戦しながら薄着での応援は厳し目。しかし、佑香さんは選手入場が始まるとコートを脱ぎ棄て、気合いモードで応援態勢に入った。

自分「おおー、佑香さん気合い入ってるねー。初ユアスタ応援とは思えないよ」
佑香「はい、父と母、その想いの分も背負っての応援ですから」
自分「んっ??、そのダブダブのベガTシャツって、ひょっとしたら・・・」

佑香「はい、父のです。そして、このタオルマフラーは母のお気に入りです。正直いうと、このTシャツの左胸に書かれている唯一のサインが誰の物なのかは分かりませんが、かなり古い選手のサインかもしれませんね。ベガルタンさんなら、誰のか分かるかもしれませんね?」

その言葉を聞いた瞬間、ベガルタンは自身の瞳から涙が零れ落ちてくるのを止める事が出来ませんでした。そのサインは、清次先輩と初めて一緒に練習見学へ行った時、選手の出待ちしをして貰った「ヒサトのサイン」だったのです。そんなTシャツを見たら、生前の清次先輩と交わした、こんな会話が瞬時にフラッシュバックしました。

清次先輩 「俺、選手のサインはヒサトだけでいいわ。俺がベガサポとなったのはヒサトのおかげだから、このベガTシャツにはヒサトのサインだけでいい」

自分「それはいいんですけど、そのTシャツを俺に買わせなくてもいいじゃないですか?」

清次先輩「いやいや、買って貰った方が有難みが出るんだ。何となく、このTシャツを着ていると、俺・ヒサト・そしてお前の3人が絆で結ばれてるような気がしてな・・・」

自分「それ、勝手な妄想ですから・・・」

急に号泣し始めた中年に驚く佑香さん。
佑香「あれ、どうされました?」
自分「そのサイン、広島へ移籍したヒサトという選手の物だよ。清次先輩が大好きだった・・」
佑香「その人なら知ってます。確か、昨年の得点王だったですよね」
自分「うん、そうだよ」
佑香「私、東京へ行っても、このTシャツを来て仙台を応援します。ホントは、新しいのを買えばいいんでしょうけど・・」
自分「いや、ボロボロになって着れなくなるまで、そのTシャツで応援して下さい。清次先輩も、きっと喜びますよ」
佑香「はい、そうかー・・このサイン、ヒサトのサインなんだ・・・」

年々、清次先輩への記憶と絆が薄れていく事を止める事は出来ないのかもしれません。しかし、このTシャツで佑香さんが応援するたびに、以前にもまして「絆」の大切さを思い知ることが出来ます。清次先輩へ買ってやった時「何で後輩の俺が、出さなきゃなんねーンだよ・・・」と思ったものですが、今はこう思えます「先に天国へと旅立つ先輩への餞別だったんだな」と。試合の勝ち負けに一喜一憂する時よりも、ベガルタンはこんな時に「嗚呼―ベガサポとなって良かった・・」と思います。


明日はシーズン5、完結編。佑香さんから、久々の連絡が入りました。

2014年11月14日金曜日

シーズン3

恵美さん、清次先輩の元へ旅立つ!!

世の中の不条理さには慣れていたつもりだったが、さすがに今回の出来事には凹みました。06年に「ダルビッシュが投げる剛速球のような本格的なベガ系ブログは諦め、気楽な感じの筆休め系ブログを目指します」と宣言していらい、一貫して脱力感溢れるコラムを書き綴ってきましたが、今日のコラムだけはシリアスな物にならざるを得ません。そして今日のブログは、07年、ベガルタの昇格シーンを見ることなく天国へ旅立った清次先輩と、その翌年に清次先輩の後を追いかけるように、この世を去った恵美さんに捧げます。

清次先輩はベガサポで、そしてベガルタの素晴らしさを教えたのは自分でした。生前「お前には色んなことを教えたが、唯一教わったのはベガルタだけだよな」と感謝していたようですが、先輩はベガルタの昇格シーンを見ることなくこの世を去りました。その葬式で受付などの手伝いをした時から、私と恵美さんとのベガサポ生活が始まります。

それまでは「単なる先輩の奥さん」に過ぎませんでしたが、全ての葬儀予定が終わった直後に「清次が見れなかった昇格は私が見ます。清次の分まで、わたしもベガルタを応援したいので、ユアスタへご面倒でも付き合ってください」と言われ、私も号泣しながら「分かりました・先輩が見れなかった昇格シーンが見れるよう、一緒に応援していきましょう」と固く握手。それ以来、年上の恵美さんは私のことを「先輩」と呼ぶようになりました。そして一緒に戦った昨年は、何回か一緒にアウエーへ行き、共に声援を送り続けたのです。

リーグ戦も終盤になり、ベガルタの昇格が見えてきたアウエー水戸戦、当然のように恵美さんを観戦に誘うと、弱々しい声で「ごめん、子供の容態が良くないの。一人にさせられないから今回は行けないわ、私と清次の分まで応援してきて」と、無念そうに断ってきた。残念だったが「そうですか、大事な一戦だけど子供さんが病気ならしょうがないですね。恵美さんの分まで応援してきます」と言って、私は電話を切った。

めでたく昇格が決まり、今度はリーグ優勝をかけたホームのセレッソ戦。私は当然のように恵美さんを誘うと「ごめん、子供が病気で入院しちゃったの。流石に置いては行けないでしょ?病院のテレビで応援してるから、私の分まで声援を送ってね」という返事。「えっ、お子さんが入院しちゃったんですか?早く言って下さいよ。どこの病院ですか?お見舞いに行きます」と切り返すと、「ううん、たいした病気じゃないの、ほら、入院中の無様な格好を見られるのが恥ずかしい年頃だから、ねっ、治ったら大好きなケーキでも買ってきてもらうから。そんなことより、勝つように頑張って応援しなさいよ」という返事。確かに中3の女の子といえば思春期の真っ只中、そう言われればそうだよな・・・と納得し、私は清次先輩と恵美さんの分まで応援を頑張りました。

そんなこんなでホーム最終戦、お子さんの様態が気になり恵美さんへ電話。

自分「もしもし、優勝がかかった最終戦ですが、お子様のご様態はどうですか?一緒に行きたいのですが・・・」
恵美さん「ごめん、良くなったり、悪くなったりの繰り返しなの。今回も無理そうだわ。私たちの分まで応援してよね」

自分「あっ、そうなんですか・・しょうがないとはいえ残念です。せめて最終戦くらいは、優勝が決まるであろうシーンは恵美さんと見たかったので、声をかけさせていただきました。一緒に行きたかったです、マジで」
恵美さん「私も行きたいな~~、でも無理、ごめんね」

試合後、何とか優勝が決まり、恵美さんに報告。恵美さんも喜んでおり、来年のJ1観戦は一緒に行動することを約束して歳が暮れました。リーグ戦の最中は連絡を取っていたのですが、リーグが終われば接点は無く、何事も無かったように年も明け、そして17日の早朝に一本の電話が鳴りました。相手は高校時代のキャプテン、そしてその内容は・・・・

自分「おい、なんだよ、朝っぱらから・・・」
キャプテン「・・・・」
自分「おいおい、何なんだよ???」
キャプテン「清次先輩の奥さんが昨日亡くなったから・・・」
自分「えっ!?恵美さんが?お子さんじゃなくて、恵美さんが亡くなったのか?」
キャプテン「そうだ、恵美さんだ。告別式等が決まれば、また連絡する」

私には「子供が入院した」と言っていましたが、本当は恵美さん本人が入院していたのを知ったのは告別式のときでした。そうなのです、私は恵美さんが治療を受けていたのに、無理やり仙スタへ誘っていたのです。そんな私に気を遣わせまいと、恵美さんはお子さんが入院していることにし、決してご自身が病気の素振りを見せることなく私に対して気丈に振舞っていたのです。なんということでしょうか・・・夫婦揃って、J1での試合を見ることなくこの世を去るなんて・・。こんな不条理がこの世にあること自体納得できません。今思えば「私も行きたいぁ~~、でも無理、ごめんね」という意味は、違う意味だったのかも知れません・・。

そんなことを知らずに、最終戦での優勝が決まった直後に「ほら、だから来たほうがいいって言ったじゃないですか?2時間ぐらい病室を空けていても大丈夫だから、一緒に行きましょうよ、じゃないと、後悔しますよ。優勝シーンをライブで見ないと、清次先輩にも報告できないじゃないですか!!もー馬鹿だなぁ~~」と挑発するかのような電話をしましたが、あの時、恵美さんの心境はどうだったのか?と考えれば考えるほど慙愧に堪えません。

納棺の時、私はご親族さんの同意を得て、ベガルタ優勝記念新聞・昇格が決まった水戸戦、セレッソ戦・最終戦らを録画したDVD、カントリーロード、そして今期の日程表などの一緒に棺へと入れさせてもらいました。恵美さんのお兄さんに「これらがないと、恵美さんが清次先輩の元へ行った時に叱られます。天国で待っている清次先輩は、きっと恵美さんが持って行くお土産を楽しみにしているだろうし、恵美さんも清次先輩と一緒に見ることを楽しみにしていると思うんです。余計なものとは考えずに、お願いですから棺の中へ入れさせてください」と懇願したら、「そうですか、恵美が天国で清次君に叱られるのは可哀想だから、是非お願いします」と承諾。

それらの品を入れている時、お兄さんが・・・
「それにしても、共に40代で死んじゃうなんて・・・神様も、むごい事をなさる。でも、こうやってかたわらに揃えていくと、2人が天国で一緒に昇格シーンのDVDを見るシーンが目に浮かびます。あっ、でも、恵美が天国に行くのはもうちょっと先かな・・・」と言いながら号泣、私も堪え切れずに号泣、そして、その隣にたたずむ中3の娘さんの瞳からも大粒の涙・・・・。

応援したくても、出来ない人が居ます。仙スタへ行きたくても、行けなかった人が居ます。J1での活躍を見たくても、見れなかった人が居ます。私たちは、その人たちの分まで応援しなければなりません。一緒に応援する仲間が遠くへ逝くと、その想いが強くなるベガルタンでした。

清次先輩、全然納得してないけど、恵美さんに「優勝記念新聞・昇格が決まった水戸戦、セレッソ戦・最終戦らを録画したDVD、カントリーロード、さらにはタバコをワンカートン」ほど、届けてもらう事にしました。まっ、これは貸しときます。いずれ自分もそっちへ行くので、その時返してもらいますから。その時は、3人で飲みながらベガルタの話で盛り上がりましょうね。


明日はシーズン4を書き込みます。

2014年11月13日木曜日

清次先輩、逝く。シーズン2

年も明けて1月末になると「おい、清次先輩の病気、相当悪いらしいぞ・・」との噂が耳に入り、友人と初めて見舞いに行くことになった。それでも「悪いんだろうけど、殺しても死なない人だから」と思っていた自分が居ました。病院のエレベーターで、先週に大部屋の病室から個室へ移動したとの事を知り、そしてこのことは「結構深刻な病状のサイン」ということを教えられました。見舞いへ行く車の中でさえ、正直「どうせ、元気なんだろうから・・・」と思っていましたが、病室へ近づくにつれて友人たちの表情がこわばり、そして会話さえ無くなると言う現実で、ベガルタンは清次先輩の病状が如何に大変か・・・を知ったのです。

「こんにちわぁ~~」それでも、元気を出して病室に入るベガルタン。しかし、その目に入ってきた清次先輩の姿は衝撃的でした。抗がん剤治療の為に、悪化した右足は切断されており、ふっくらとしていた顔はゲッソリ・・・。あまりの容姿に言葉を失っていたら、先輩は精一杯の笑顔で自分に話しかけてくれましたよね。

清次先輩「おい、今年も年チケ買ったか?」
自分「は、はい・・・・」
清次先輩「俺はな今年は買わなかったよ。この通り、足も切られちゃったしな。でもな、悪いことばかりじゃないぞ。今まで俺は、S指定の上の方で観戦していたんだけど、これからは障害者のエリアで観戦できるんだ。あんな良い所から見られるんだぞ!!当然、車いすで行くことになるけど、お前に後ろを押して貰うから、お前も良い場所で安く観戦できるんだ。なっ、悪いことばかりじゃないだろ?」

そんな先輩に元気づけられて、退室しようとした時「何気に、今年は昇格できそうなんだよな~~。俺、J2しか知らないからさー、今年は大丈夫だよな?」と声をかけてくれた先輩に対して、言葉に詰まった自分は頷くだけで精一杯の自分でした。

死ぬんだったら、もう二度と会えないと分かっていたなら、あの時、何か冗談でも言っておけばよかった。先輩も、それを期待していたはずなのに・・・本当にすみませんでした。

そんな事を思い出しながら、あまりにも急な告別式。ただ、ただ、哀しみにくれる・・・とはこのことです。告別式後、帰ろうとした自分は奥さんから呼び止められ、病室で撮った一枚の写真を見せられた。その写真には、今期のベガルタの日程を真剣に見ている先輩の姿が映し出されており、「ユアスタは7月からかぁ~~行きたい・・・そしてマジで(生きたい)なー」とボヤいていたそうです。行けない(生けない)と分かっていたのに・・。

そして奥さんは「セニョールさん、お願いがあります。ベガルタの試合に行く時は、主人のこの写真を持って行って応援してくれませんか?主人も、行きたいと願っていました。だから、今年の試合は主人の写真というか、主人の魂をスタジアムに連れて行って欲しいんです」と私に懇願してきました。泣きながら受け取った自分は、言葉にならず、ただ、ただ、頷くばかりでした。

 今年、私は先輩の魂と共に一年間戦うことになりました。さらに、昇格が決まりそうな試合には、どんなに遠隔地でも参戦し、先輩の遺影と共に観戦することを決意しました。昇格が決まった瞬間、遺影を持って泣き崩れている中年が居たら、それは自分です。周りから見たら「キモイ」と思われるのでしょうが、許してやってください。いいえ「自分に対して許してください」ではありません。昇格を知ることなく、この世を去って行った清次先輩にです。先輩、先輩が直ぐに天国に行けないことは知っています。だから、先輩が天国へ行くのと、ベガルタが昇格するのと、どっちが先が競争です。もちろん、俺は「先輩が天国へ行く方が早い」方へ賭けます。先輩は、どっちに賭けますか?

ここで、今現在の気持ちを書き込みます。

結局、清次先輩はJ2のベガルタしか知らずに天国へと旅立ちました(まだ、着いてないかもしれませんが)。それに比べれば、今のベガルタンは幸せです。昇格し、優勝争いもチョットだけ経験でき、そして来週末には今年最大の山場となる「セレッソ戦」を観戦できる・・・。それもこれも、生きてるから・・・なんでしょうが、人間は不幸に直面しないと「幸せや希望」を再認識しない生き物ということを、清次先輩の死から、ベガルタンは実感しております。生きている、そして健康じゃなければ、ユアスタへ参戦する事など出来ません。セレッソ戦は、シーズン5で書き込む、清次先輩のレプユニで参戦する予定です。

2014年11月12日水曜日

清次先輩、逝く。完結編

基本的に、私のブログはマッタリ系というか、スケベ系というか、ただ単に駄文を書き綴っているだけの、「仕事で疲れた皆様の筆休め的なブログ」である事は自覚しています。書き込みの全体的な構成としては、98%がマッタリ系の書き込みだからね。ベガツボの歴史は意外に古く、最初は楽天ブログで10年程書き綴った後、震災後にリフレッシュの意味で現在はブロガ―で駄文を書き込むようになりました。

そんなマッタリ系の書き込みの中にも、つい、感傷的な出来事に遭遇して書き込んでいるシリーズが2話ほどあり、今日からの5日間は、楽天時代から書き込んできた「清次先輩、逝く」の完結編です。本当は今日、いきなり完結編を書き込んでもいいんだけど、このシリーズを全く知らない人もいるだろうから、7年前に楽天ブログへ書き込んだシーズン1からアップします。そのままコピーしてアップしてもいいんだけど、多少なりとも表現などを訂正した改訂版を書き込む事としました。このシリーズは、大震災の時に書き込んだ「1枚のチケット」のシリーズと共に、大変想い入れがあり、もう一度この時の気持ちを誠実に書き込んだ方が、亡き先輩への供養になると考えたからね。

なので、今週、私の書き込みに「仕事の筆休め」を期待されている方々へ、ご連絡があります。今週、私の書き込みに「仕事の筆休め」や「シュールな笑い」はありません。年に1度くらいの頻度で感傷的な出来事を書き込むと、多くの人から「お前に感動的な書き込みは期待していない」とか「いいから、笑わせてくれ・・・」という抗議のメールがたくさん来ます。なので、この際ハッキリと言わせてもらいます。
今週は、笑いやエロは一切ありません!!よって、当ブログに「仕事で疲れた時の筆休めやリラクゼーション」を期待されている方は、この後の書き込みを絶対に読まないでください。心より、お願い申しあげます。それでは、7年前に書き込んだ、シーズン1「清次先輩、逝く」改訂版です。

2007.2.23 清次先輩、逝く

 一本の電話が来るまでは、何気ない週末だった。
キャプテン「おい・・・・・」
自分「・・・???って何が「おい」なんだよ?どうしたんだ?」
キャプテン「清次先輩が、亡くなった・・・・」
自分「えっ?何言ってんの?一週間前、お前とお見舞いに行った時は元気そうだったじゃないか!!」
キャプテン「今さっき、先輩の奥さんから連絡が入った・・・」
自分「嘘だろ?嘘だよな?あんなにタフだった先輩が死んだなんて、嘘だろ?」
キャプテン「・・・・・」

私の高校時代、キャプテンだった浦辺からの電話は突然だった。その内容は、体調を崩していた清次先輩の容態が急変し、ついさっき亡くなってしまったと言うのだ。清次先輩は高校のバスケ部で先輩。しかし、バスケを教えられるよりも、悪さの方を多く教えてもらった。その関係は社会に出ても続き、ソープ・キャパクラなどの風俗系や、麻雀、競馬などの公益ギャンブル、さらには非合法のカジノバー、ロイヤル麻雀、ポーカーなどのアンダーグランドなギャンブルまで、その全てを私に教えてくれた恩人である。こんな人が公務員になった時、ベガルタンは心の底から「世も末だよ・・・」と思ったものです。

数年前、めでたく結婚、そしてようやく子供を授かった時「俺、幸って意味が、40歳にして初めてわかったよ」と真面目そうに話した顔は今でも忘れられないが、そんな顔を二度と見る事が出来なくなった現実を、どのように受け止めたらいいのか正直わかりません。44歳で愛妻と永久(とわ)の別れをし、幸せの意味を教えてくれた子供とも別れなければならなかった清次先輩の心情は察するに余りある。無念だったことでしょう。身近な人が亡くなった時、人は初めて「自分の幸せ」を考えます。俺の幸せって、何だろう???

そんな清次先輩に対して、唯一、私が教えることができたのは「ベガルタ」でした。その先輩を、初めて招待した時の試合は今でも忘れることはできない。あれは11年前の川崎戦、ロスタイムにヒサトの2発で2-2の同点にした歴史的な試合だった。試合内容的には一方的で、シュートの数も少なく、ポゼッションでも圧倒され、初めて観戦した清次先輩も「何だよ、やられっぱなしじゃないか!!」と愚痴っていました。しかし、ヒサトの登場で雰囲気が一変!!足が止まりかけてきた川崎の選手を圧倒し、ゴールへのプレッシャーを継続的に掛け始めました。ただ、そうは言っても時計を見れば90分が過ぎてしまい「あ~~あ・・・負けちゃったよ・・・」と観念した瞬間、ヒサトのゴールが炸裂!!ようやく仙スタが盛り上がり、清次先輩も「おっ!!なっ、何だ?この盛り上がりは???」と不思議がっていました。

そんな清次先輩を見て「良かったよ、先輩に仙スタの魅力の一端でも見せることができて・・・」と安堵していたら、その数秒後に小針からのキック、それをゴッツェが頭でつないで、そのボールが裏を飛び出したヒサトの足に納まり、川崎のゴールの右隅へズドン!!となって同点に追いつきました。この瞬間の仙スタの盛り上がりようは、入れ替え戦でナジソンのゴールが決まったくらいの盛り上がりようでしたな。清次先輩もそんな盛り上がりに魅了され、次の日にはヒサトのレプリカユニを購入するほどハマリ、それ以来、時間が取れれば「おい、次の試合には行けそうだから、付き合えよ!!」との電話がかかってくるようになり、その時から年チケではなかった自分は「清次先輩の専属チケット購入班」となったのです。

清次先輩をベガサポにした試合というか、シーンがこれ。今振り返って動画を見てみたら、実況は下田だった。苦しいシーズンだったけど、この試合のインパクトは絶大でしたな。

 それから数年、互いに年チケを保有するようになり、お互いにベガルタを家族で応援する間柄となりました。そんな先輩が入院したとの連絡を貰ったのが11月も下旬でしたが、この時は自分も横浜戦や磐田への遠征が続いており、お見舞いには行けませんでした。その前提として「あんなタフな先輩なんだから、どうせ大した病気じゃないだろう」という思いがあり、病室へは行かず携帯で連絡を取ったのみであった。
自分「先輩、看護婦さんは綺麗ですか?駄目ですよ、手を出しちゃ。俺、夜行のツアーバスで「入れ替え戦と言う関ヶ原」の地、磐田へ行ってきます。先輩の分まで応援してきますから」
清次先輩「おおー、頼むぞ、俺の分まで。昇格するんなら、俺の命をやってもいいぞ」
自分「任せてください!!って言うか、先輩の汚い命なんて要りません。拒否します。先輩みたいに、この時期に入院していたことを、一生後悔するくらいの歴史的瞬間をこの胸に刻んできます」みたいな会話があったのだが、まさか、本当に命を賭けていたなんて・・・この時のベガルタンは知る由もありませんでした。試合後、試合に敗れ、バスの座席にもたれ、失意の底に沈んでいた自分に先輩から電話がはいった。

清次先輩「残念だったな・・」
自分「自分は今、セミの抜け殻状態です」
清次先輩「ごくろうさん」
自分「試合後、選手たちの姿を見ても泣かなかったのですが、周りで泣き崩れるベガサポを見ていたら、貰い泣きしちゃいましたよ」
清次先輩「行きたいなぁ~~」
自分「えっ?何言ってんですか?試合は終わったんだから「行きたい」って言われても遅いですよ、早く直して、来年の開幕戦には一緒に行きましょう。宮スタなので自分が車を出します」といった感じの会話があったのだが・・・

今思えば「行きたい」のではなく「生きたい」と言いたかったのですね、清次先輩、気づきませんでした。本当にごめんなさい・・・。


明日はシーズン2の改訂版をアップします。

2014年11月4日火曜日

ガンバ戦

ふぅ~~、何気に苦しい試合でしたが、最後の一発は気持ち、柳沢の・・と言うよりも、チーム全員、更にはサポーター全員の“気持ち”が現れたゴールだったと思っています。もちろん、ガンバの選手が試合後「そんな難しい試合ではなかったと思います」とか「そんなに危ないシーンはなかったが、残留争いをしている仙台に1というのは・・」みたいに「お前たち、去年はJ2だったくせに、そんな上から目線で言うか??」的なコメントをしているのは知っています。しかし、チームの置かれている現状に目を向ければ、向こうは「三冠だって・・」に対し、こっちは「ひょっとしなくても降格の可能性が・・」という状況では、「残留争いしているチームに勝てないのは痛い・・・」と思われてもしょうがないのでしょうな。プロの世界は何事も、結果が全てです。

「そんなに危ない場面は無かった・・」とガンバの選手が言うとおり、試合自体は「堅い」試合でした。ガンバサポじゃなくても「宇佐美の2発、そのどっちかが決まっていれば試合は決まっていた・・」とは思いますが、そんなプロセスなど、今の仙台には無用の長物。今は結果、残留と言う結果のみが最大のミッションであり、そのミッションを達成する為には、大宮が広島戦で見せた様な「先制したら、例え前半からであろうとも、5バックもいとわない、ドン引き、穴熊、守れ・守れ・守ぁ~~もれぇーシュナイダ―」作戦でさえ正当化されます。

柏戦と言い、そしてガンバ戦といい、「とりあえず守備的ね・・・」という戦略が徹底できているからか、素人的に「それなりに戦えてる・・・」と考えるのには一定の整合性はあります。実際、柏戦の後半やガンバ戦の前半なんかは「結構、戦えてる・・・」という印象を誰だって持つ筈でしょう。しかし、中々結果が出ない・・・そう考え、ジレッたい気持ちで試合を観戦している方も多いかと思います。しかしです、元々「堅守速攻」と言う戦術は、中々、結果が得にくい戦術だと言う事を認識せねばなりません。

相手にボールを持たせて、チャンスがあれば速攻&セットプレーで仕留める・・・。その際、ポゼッションは敢えて気にせず、あくまでもゴール前のバイタルを中心に守る。前線からプレッシングを掛けるのは、それなりに準備が整っている時のみに限定し、攻撃的な圧力が減退する事と引き換えに、守備的な人数をゴール前に振り分け、ゴール前のボールを跳ね返しつつ、少ないカウンターに勝気を見出す。なので、観戦してると“しんどい”、とにかく“しんどい”。まっ、守っている時間が長く、チャンスも少ないので、苦しい時間が長いのは、お約束のようなものです。堅守速攻と言う戦術は、多少M系の人にはたまらないのでしょうが、多少S系のベガルタンからすれば、地獄のような戦術であります。でも、残留にはこれしかないと分かっているので、ただひたすら「忍」の一字です。

大宮が、広島戦で見せた様な戦い方は極端過ぎる例かもしれません。だって、前半の途中から完全に「僕たち、守っちゃいますよぉ~~、守って・守って、守り抜きますよぉー」という戦術で、後半なんて「僕たち、攻撃はしません、キャンセルします。どぉ――ぞ攻めてください。最悪引き分けになったとしても、決して後悔しません。だから、メッチャ攻めてください!!ボコボコにされても、ポゼッションを放棄しても、ゴールだけはさせませんから・・」という戦略を自宅のテレビで観ていた時、ベガルタンは背筋が凍るような感覚を得、そして想いました・・「こうまでして、残留しなければならないのか?」と。

今年仙台は、監督を代えて「ワンランク上、違うステージ」へチームを誘おうとしました。しかし、国破れて山河あり。ポゼッションサッカー、パスを繋いで相手を崩すサッカー、人もボールも、そして見ている人達の心さえ動かすサッカー、という理想郷からは遠く逸脱しましたが、それでも残留争いという、目の前の戦いからは逃げ出す事など出来ません。それならば、決してチームが理想としているサッカーではない現状を嘆くのではなく、甲府のようなチームコンセプトを共有し、「勝ち点1」を遮二無二確保する戦術を楽しむのもありではないのでしょうか?

守備的な戦術は、やってる選手も、見ているサポーターも、決して幸せな戦い方ではないのでしょう。しかし、そうなってしまった原因を作ってしまった以上、その尻拭いは、自らの手でしなければなりません。現状の戦い方は、春先に失敗した戦い方の“利息分”を支払っているのだから、我慢するのは当然・・・。そう考える事によって、ガンバ戦の「勝ち点1」をポジティブに捉える事が出来るベガルタンです。


こうなった以上、セレ女には何の怨みも無いですが、我々ベガルタがセレッソに対して「J2への送り人」となる覚悟を決めねばならないようです。個人的に「同じ大阪のチームでは、ガンバよりもセレッソの方にシンパシイが・・・」という感情が無い訳ではありません。しかし、セレッソ戦に対して“そのような感情は無用”であり、逆に、そんな感情を抱いたまま試合を観戦したとするのなら、それこそセレッソサポに対して非礼なのは言うまでもありません。

セレッソサポには、試合でセレッソをボコボコにし、サバサバした気持ちでユアスタから帰っていただく・・・。そして、一切の感情を破棄し、車に乗ったらゴルゴ13のように“ふぅ~~”とタバコを吸う・・・。これしかありませんな。