2014年11月13日木曜日

清次先輩、逝く。シーズン2

年も明けて1月末になると「おい、清次先輩の病気、相当悪いらしいぞ・・」との噂が耳に入り、友人と初めて見舞いに行くことになった。それでも「悪いんだろうけど、殺しても死なない人だから」と思っていた自分が居ました。病院のエレベーターで、先週に大部屋の病室から個室へ移動したとの事を知り、そしてこのことは「結構深刻な病状のサイン」ということを教えられました。見舞いへ行く車の中でさえ、正直「どうせ、元気なんだろうから・・・」と思っていましたが、病室へ近づくにつれて友人たちの表情がこわばり、そして会話さえ無くなると言う現実で、ベガルタンは清次先輩の病状が如何に大変か・・・を知ったのです。

「こんにちわぁ~~」それでも、元気を出して病室に入るベガルタン。しかし、その目に入ってきた清次先輩の姿は衝撃的でした。抗がん剤治療の為に、悪化した右足は切断されており、ふっくらとしていた顔はゲッソリ・・・。あまりの容姿に言葉を失っていたら、先輩は精一杯の笑顔で自分に話しかけてくれましたよね。

清次先輩「おい、今年も年チケ買ったか?」
自分「は、はい・・・・」
清次先輩「俺はな今年は買わなかったよ。この通り、足も切られちゃったしな。でもな、悪いことばかりじゃないぞ。今まで俺は、S指定の上の方で観戦していたんだけど、これからは障害者のエリアで観戦できるんだ。あんな良い所から見られるんだぞ!!当然、車いすで行くことになるけど、お前に後ろを押して貰うから、お前も良い場所で安く観戦できるんだ。なっ、悪いことばかりじゃないだろ?」

そんな先輩に元気づけられて、退室しようとした時「何気に、今年は昇格できそうなんだよな~~。俺、J2しか知らないからさー、今年は大丈夫だよな?」と声をかけてくれた先輩に対して、言葉に詰まった自分は頷くだけで精一杯の自分でした。

死ぬんだったら、もう二度と会えないと分かっていたなら、あの時、何か冗談でも言っておけばよかった。先輩も、それを期待していたはずなのに・・・本当にすみませんでした。

そんな事を思い出しながら、あまりにも急な告別式。ただ、ただ、哀しみにくれる・・・とはこのことです。告別式後、帰ろうとした自分は奥さんから呼び止められ、病室で撮った一枚の写真を見せられた。その写真には、今期のベガルタの日程を真剣に見ている先輩の姿が映し出されており、「ユアスタは7月からかぁ~~行きたい・・・そしてマジで(生きたい)なー」とボヤいていたそうです。行けない(生けない)と分かっていたのに・・。

そして奥さんは「セニョールさん、お願いがあります。ベガルタの試合に行く時は、主人のこの写真を持って行って応援してくれませんか?主人も、行きたいと願っていました。だから、今年の試合は主人の写真というか、主人の魂をスタジアムに連れて行って欲しいんです」と私に懇願してきました。泣きながら受け取った自分は、言葉にならず、ただ、ただ、頷くばかりでした。

 今年、私は先輩の魂と共に一年間戦うことになりました。さらに、昇格が決まりそうな試合には、どんなに遠隔地でも参戦し、先輩の遺影と共に観戦することを決意しました。昇格が決まった瞬間、遺影を持って泣き崩れている中年が居たら、それは自分です。周りから見たら「キモイ」と思われるのでしょうが、許してやってください。いいえ「自分に対して許してください」ではありません。昇格を知ることなく、この世を去って行った清次先輩にです。先輩、先輩が直ぐに天国に行けないことは知っています。だから、先輩が天国へ行くのと、ベガルタが昇格するのと、どっちが先が競争です。もちろん、俺は「先輩が天国へ行く方が早い」方へ賭けます。先輩は、どっちに賭けますか?

ここで、今現在の気持ちを書き込みます。

結局、清次先輩はJ2のベガルタしか知らずに天国へと旅立ちました(まだ、着いてないかもしれませんが)。それに比べれば、今のベガルタンは幸せです。昇格し、優勝争いもチョットだけ経験でき、そして来週末には今年最大の山場となる「セレッソ戦」を観戦できる・・・。それもこれも、生きてるから・・・なんでしょうが、人間は不幸に直面しないと「幸せや希望」を再認識しない生き物ということを、清次先輩の死から、ベガルタンは実感しております。生きている、そして健康じゃなければ、ユアスタへ参戦する事など出来ません。セレッソ戦は、シーズン5で書き込む、清次先輩のレプユニで参戦する予定です。

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