ん~~~、清水に勝って「よおーーし、こっから全勝だ!!元旦だ!!」というスイッチが試合終了後には入ったと思っていたのですが、どうやらそれは勘違い、入って無かったかのように「のんべんだらり~~ん」の生活を送っております。なんかさー、とりあえず年末近くまで試合があるし、降格の心配も無いし、監督の交代も予想外にスムーズだし、気分的には「ひと仕事を終えて、風呂に入ってさっぱりして、お~~い、母ちゃん、ビール!!」って感じです。リーグ戦での目標がボヤケちゃって、なんとなく「心の炎」が点火しない日々を過ごしているベガルタンですが、皆様はどうでしょうか?
そのように意味不明な過信を飲み会の席で聞かされるたび「嗚呼―、いいなぁ~~消化試合って響き・・・今年諦めても、こいつらは来年優勝争いできると思っている・・・・それに比べベガルタは「諦めたら降格」という可能性すらある現状・・・・。少しでも早く、仙台も消化試合を「心のリセットと、来年への希望」として受け入れられるようになって欲しいものだ」と考えていました。つまり、マッタリと消化試合を受け入れられるのは「来年への希望があるチームだから・・・」という、理論と言うか、自分かってな思いみ込みと言うか、とにかく、降格が無い消化試合にバカな憧れを持っていたのよ。
ところがです、いざ、その消化試合を受け入れざるを得ない状況になって見ると、ぶっちゃけ、リーグ戦では全く燃える物がなく、試合に対するモチベーションが維持できなくて困っている現状なのです。昨年なら「ホーム最終戦の前のアウエーには行かなきゃなんねーし、最終戦の東京は行くと言う選択肢しかないから、土日切符を買って、次の日は府中競馬場へ・・・」みたいな感じで忙しかったのですが、今年はと言えば「えっ!?新潟?別に行かなくても・・・タイヤも交換してねーし、んっ!?最終戦の東京?いやいや、そこに新幹線代を使うのなら、天皇杯に使った方が・・・」みたいな感じで、なんて言うの、気づいたら「消化試合症候群」になっていたのです。そう、あんなにも憧れていたのに・・・。
ある意味、この試合こそ「ベスト・オブ・消化試合」。東京にボコボコとやられましたが、不思議とダメージはありませんでした。まっ、ジャンキーと同じで、「人間、心が空っぽになると、痛さは感じないんだな・・・」ということを40代で学んだ師走でした
間違っていました・・・消化試合は「快適マッタリの老後生活にも似た壮快さ」があると思っていたのですが、そこにあったものは「グダグタの倦怠感にも似た夫婦生活」だけだったのです。もうね、リーグ戦の終盤で「新潟へ行かなくてもいいや」とか、最終戦で「東京へ行かなくてもいいや」って思う日が来るとは思いませんでした。もうね、後悔してます・・・「一瞬たりとも消化試合に憧れていた自分」を、猛烈に後悔しています。だから、来年はネガティブの意味じゃなくてポジティブな意味で、良い終盤戦を過ごして欲しい・・・。ベガルタンは心から、そう感じている今日この頃です。
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