2013年3月22日金曜日

ベガルタン、柏戦で絆を確認す!!

基本的に、私のブログはマッタリ系というか、スケベ系というか、ただ単に駄文を書き綴っているだけの、「仕事で疲れた皆様の筆休め的なブログ」である事は自覚しています。書き込みの全体的な構成としては、98%がマッタリ系の書き込みだからね。しかし、年に1度くらいの頻度で感傷的な出来事を書き込む時があり、そんな書き込みをすると、多くの人から「お前に感動的な書き込みは期待していない」とか「いいから、笑わせてくれ・・・」という抗議のメールがたくさん来ます。なので、この際ハッキリと言わせてもらいます。


今日から3回にわたって書き込む内容に、笑いやエロは一切ありません!!よって、当ブログに「仕事で疲れた時の筆休めやリラクゼーション」を期待されている方は、この後の書き込みを絶対に読まないでください。心より、お願い申しあげます。

いきなり、柏戦での出来事を書き込んでも、楽天ブログ時代から読んでくれているヘビーユーザー以外は「なんのこっちゃ???」と思われるはずです。よって、過去に書き込んだ2回のエピソードを、再びアップする事にしました。まず一回目は、磐田との入れ替え戦に敗れた年の翌年2月のブログ。そして2回目が優勝・昇格した翌年のブログ。最後の3回目が、今年の柏戦でのブログとなります。それでは、4年前の2/23に楽天ブログに書き込んだエピソードをご覧ください。

2月23日 清次先輩 逝く

何気ない週末だった。一本の電話が来るまでは・・・

友人「おい・・・・・」
自分「・・・???って何が「おい」なんだよ?どうしたんだ?」
友人「清次先輩が、亡くなった・・・・」
自分「えっ?何言ってんの?一週間前、お前とお見舞いに行った時は元気そうだったじゃないか!!」
友人「今さっき、先輩の奥さんから連絡が入った・・・」
自分「嘘だろ?嘘だよな?あんなにタフだった先輩が死んだなんて、嘘だろ?」
友人「・・・・・」

清次先輩は高校のバスケ部で先輩だった。しかし、バスケを教えられるよりも、悪さの方を多く教えてもらった。その関係は社会に出ても続き、ソープ・キャパクラなどの風俗系や、麻雀、競馬などの公益ギャンブル、さらには非合法のカジノバー、ロイヤル麻雀、ポーカーなどのアンダーグランドなギャンブルまで、その全てを私に教えてくれた恩人である。数年前に、ようやく子供を授かった時「俺、幸って意味が、40歳にして初めてわかったよ」と真面目そうに話した顔は今でも忘れられないが、そんな顔を二度と見る事が出来なくなった現実を、どのように受け止めたらいいのか正直わかりません。44歳で愛妻と永久(とわ)の別れをし、幸せの意味を教えてくれた子供とも別れなければならなかった清次先輩の心情は察するに余りある。無念だったことでしょう。身近な人が亡くなった時、人は初めて「自分の幸せ」を考えます。俺の幸せって、何だろう???

そんな清次先輩に対して、唯一、私が教えることができたのは「ベガルタ」でした。その先輩を、初めて招待した時の試合は今でも忘れることはできない。あれは4年前の川崎戦、ロスタイムにヒサトの2発で2-2の同点にした歴史的な試合だった。試合内容的には一方的で、シュートの数も少なく、ポゼッションでも圧倒され、初めて観戦した清次先輩も「何だよ、やられっぱなしじゃないか!!」と愚痴っていました。しかし、ヒサトの登場で雰囲気が一変!!足が止まりかけてきた川崎の選手を圧倒し、ゴールへのプレッシャーを継続的に掛け始めました。ただ、そうは言っても時計を見れば90分が過ぎてしまい「あ~~あ・・・負けちゃったよ・・・」と観念した瞬間、ヒサトのゴールが炸裂!!ようやく仙スタが盛り上がり、清次先輩も「おっ!!なっ、何だ?この盛り上がりは???」と不思議がっていました。

そんな清次先輩を見て「良かったよ、先輩に仙スタの魅力の一端でも見せることができて・・・」と安堵していたら、その数秒後に小針からのキック、それをゴッツェが頭でつないで、そのボールが裏を飛び出したヒサトの足に納まり、川崎のゴールの右隅へズドン!!となって同点に追いつきました。この瞬間の仙スタの盛り上がりようは、入れ替え戦でナジソンのゴールが決まったくらいの盛り上がりようでしたな。清次先輩もそんな盛り上がりに魅了され、次の日にはヒサトのレプリカユニを購入するほどハマリ、それ以来、時間が取れれば「おい、次の試合には行けそうだから、付き合えよ!!」との電話がかかってくるようになり、その時から年チケではなかった自分は「清次先輩の専属チケット購入班」となったのです。


清次先輩をベガサポにした試合というか、シーンがこれ。今振り返って動画を見てみたら、実況は下田だった。苦しいシーズンだったけど、この試合のインパクトは絶大でしたな。

 それから数年、互いに年チケを保有するようになり、お互いにベガルタを家族で応援する間柄となりました。そんな先輩が入院したとの連絡を貰ったのが11月も下旬でしたが、この時は自分も横浜戦や磐田への遠征が続いており、お見舞いには行けませんでした。その前提として「あんなタフな先輩なんだから、どうせ大した病気じゃないだろう」という思いがあり、病室へは行かず携帯で連絡を取ったのみであった。

自分「先輩、看護婦さんは綺麗ですか?駄目ですよ、手を出しちゃ。俺、朝一の新幹線で磐田へ行ってきます。先輩の分まで応援してきますから」

清次先輩「おおー、頼むぞ、俺の分まで。昇格するんなら、俺の命をやってもいいぞ」

自分「任せてください!!って言うか、先輩の汚い命なんて要りません。拒否します。先輩みたいに、この時期に入院していたことを、一生後悔するくらいの歴史的瞬間をこの胸に刻んできます」みたいな会話があったのだが、まさか、本当に命を賭けていたなんて・・・この時のベガルタンは知る由もありませんでした。試合後、試合に敗れ、新幹線にも乗り遅れ、失意の底に沈んでいた自分に先輩から電話がはいった。

清次先輩 「残念だったな・・」
自分 「自分は今、セミの抜け殻状態です」
清次先輩 「ごくろうさん」

自分「試合後、選手たちの姿を見ても泣かなかったのですが、周りで泣き崩れるベガサポを見ていたら、貰い泣きしちゃいましたよ」

清次先輩「行きたいなぁ~~」

自分「えっ?何言ってんですか?試合は終わったんだから「行きたい」って言われても遅いですよ、早く直して、来年の開幕戦には一緒に行きましょう。宮スタなので自分が車を出します」といった感じの会話があったのだが、今思えば「行きたい」のではなく「生きたい」と言いたかったのですね、清次先輩、気づきませんでした。本当にごめんなさい・・・。

年も明けて「おい、清次先輩の病気、相当悪いらしいぞ・・」との噂が耳に入り、友人と初めて見舞いに行くことになった。それでも「悪いんだろうけど、殺しても死なない人だから」と思っていた自分の目に入ってきた清次先輩の姿は衝撃的でした。抗がん剤治療の為に、悪化した右足は切断されており、ふっくらとしていた顔はゲッソリ・・・。あまりの容姿に言葉を失っていたら、先輩は精一杯の笑顔で自分に話しかけてくれましたよね。

清次先輩「おい、今年も年チケ買ったか?」
自分「は、はい・・・・」

清次先輩「俺は今年は買わなかったよ。この通り、足も切られちゃったしな。でもな、悪いことばかりじゃないぞ。今まで俺は、S指定の上の方で観戦していたんだけど、これからは障害者のエリアで観戦できるんだ。あんな良い所から見られるんだぞ!!当然、車いすで行くことになるけど、お前に後ろを押して貰うから、お前も良い場所で安く観戦できるんだ。なっ、悪いことばかりじゃないだろ?」そんな先輩に元気づけられて、退室しようとした時「何気に、今年は昇格できそうなんだよな~~。俺、J2しか知らないからさー、今年は大丈夫だよな?」と声をかけてくれた先輩に対して、言葉に詰まった自分は頷くだけで精一杯の自分でした。死ぬんだったら、あの時、何か冗談でも言っておけばよかった。先輩も、それを期待していたはずなのに・・・本当にすみませんでした。

告別式後、帰ろうとした自分は奥さんから呼び止められ、病室で撮った一枚の写真を見せられた。その写真には、今期のベガルタの日程を真剣に見ている先輩の姿が映し出されており、「ユアスタは7月からかぁ~~行きたい(生きたい)なー」とボヤいていたそうです。行けない(生けない)と分かっていたのに・・。そして奥さんは「セニョールさん、お願いがあります。ベガルタの試合に行く時は、主人のこの写真を持って行って応援してくれませんか?主人も、行きたいと願っていました。だから、今年の試合は主人の写真というか、主人の魂をスタジアムに連れて行って欲しいんです」と私に懇願してきました。泣きながら受け取った自分は、言葉にならず、ただ、ただ、頷くばかりでした。

 今年、私は先輩の魂と共に一年間戦うことになりました。さらに、昇格が決まりそうな試合には、どんなに遠隔地でも参戦し、先輩の遺影と共に観戦することを決意しました。昇格が決まった瞬間、遺影を持って泣き崩れている中年が居たら、それは自分です。周りから見たら「キモイ」と思われるのでしょうが、許してやってください。いいえ「自分に対して許してください」ではありません。昇格を知ることなく、この世を去って行った清次先輩にです。先輩、先輩が直ぐに天国に行けないことは知っています。だから、先輩が天国へ行くのと、ベガルタが昇格するのと、どっちが先が競争です。もちろん、俺は「先輩が天国へ行く方が早い」方へ賭けます。先輩は、どっちに賭けますか?

明日は、3年前の書き込みを再びアップします

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