2012年11月9日金曜日

セレッソ戦


えーと、勝てませんでしたな。しかしながら、負けなかったという現実によって、ポジティブとネガティブの間で揺れている“やじろべい”の振り子がポジティブサイドに止まっている事が出来ています。これからの試合内容を考えれば、こんな感じで“どの試合も苦しむ事”は覚悟しているんだけど、この試合くらい「えっ!?入ってないの??」とか「おいおいおい、それは入るだろう普通?」とか「どうしてそこでポスト叩くかなぁ~~」と嘆きまくったのは久しぶりです。





全くチャンスが無い試合も考えものですが、この試合のように決定機と思われるチャンスが“てんこ盛り”にあるものの、それを決めきれない試合も考えものです。このような試合を見せられれば、「これからの3試合、いずれもこんな感じで苦しむんだろうなぁ~~」と思う事に整合性はありますな。選手もサポーターも、ここからはジリジリするような試合展開を楽しむような“精神力”が必要となるのは確実なようです。

監督や選手は、メディアなどによるインタビューで「プロチームとして優勝争いの中、戦えるのは幸せです。もちろんプレッシャーはありますが、このプレッシャーを乗り越えないと優勝もできないし、チームとしても個人としても成長できませんから」と答えています、監督も選手も、このプレッシャーを体験する為にキャンプから頑張っているんでしょうな。

個人的に、選手たちのプレーからは、特段に“プレッシャー”を感じる事はありません。もちろん“勝たねばならない”という緊張感はあるんだろうけど、だからといって「緊張感=プレッシャー」という図式は当て嵌まらず、どちらかと言えば「緊張感=心地いい」という雰囲気があります。やはり、残留争いよりも優勝争いの方が“やり甲斐”はあるんでしょうな。そして応援している私たちも、何気に試合に臨むにあたっては「心地良い緊張感」という名のプレッシャーを楽しんでいる様な気がします。

さて、アメリカのスポーツ心理学の教授は下記のような論文を発表しています。

「プレッシャーには、「“眼に見えるもの、見えないもの”」「“感じられるもの、感じられないもの”」がある。プロスポーツ選手570人に協力してもらい、毎試合、血液検査と簡単な脳波チェックをした結果、優勝争いをしている選手には“明らかに医学的な体質変化”を表すデータが示されました。そのデータ結果を知らせずに、その選手に対して「今現在、プレッシャーなどによって精神的、もしくは肉体的に過度な負担を感じていないか?」と尋ねたら、恐ろしいくらいに選手のタイプによって答えが二通りに分かれたのです。

有名で実績がある選手の答え 「プレッシャーを良い意味でエネルギーに変えるよう、普段の生活から意識している」

能力があるが経験の無い若手選手の答え 「プレッシャーは特段感じていない」

そして実際の試合では、常にプレッシャーを意識している選手の方が、試合で活躍する頻度は圧倒的に多かった。データ上では、どちらの選手にも体内的には過度な体質変化が見受けられているのに、片方の選手は「常に意識している」といい、別の選手は「感じていない」という。

ここから、プレッシャー常に意識している選手は「プレッシャーを日常化する事によって、それに対応する精神的、肉体的な変化に順応しやすく、プレッシャーを感じていない選手は、感じていないだけで実際はプレッシャーを受けており、それを受けとめる準備や経験が出来てないので、結果的に精神的、肉体的な変化に順応出来ず、本番の試合では良いプレー(いつも通りのプレー)がされにくいのではないか?という仮説が成り立つ」というのだ。

選手の事は分からないので、自分の事を言えば「ベガルタンは現在、優勝争いに対するプレッシャーなど全く感じておりません。試合前に入れ替え戦のように“吐き気”は無く、降格が決まった大分戦のような“過度な不安感”など微塵もありません」と言った感じです。これは、J1という舞台で優勝争いをしたことが無いので、その「生みの苦しみ」を感じられてないだけなのかもしれませんな。皆さんはプレッシャーを感じてますでしょうか?だとしたら、ベガルタンよりも皆さんの方が「サポーターとしての経験値が高い」と言う事になります。鹿島戦辺りからは、ベガルタンにも“ヒリヒリするようなプレッシャー”が感じられればいいのですが・・・。

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